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森有正を読めない
 彼女との思い出の中で、特別な意味を持った思想家・詩人がいる。その筆頭が森有正だった。

 森有正と言っても知っている人は少ないだろう。一時は本も売れたらしいが、今は探すのも大変になってしまった。文庫本も何冊も出たが、今はほとんど全部が絶版となっている。古本でも手に入らない。

 根強いファンはいて、関連するサイトもあり、また古本に出ないと言うことが、本を手放さないと言うことを意味してもいるのだと思う。また、昨年はNHKの「こだわり人物伝」で「セカチュウ」で有名な片山恭一が森有正の足跡を辿るシリーズをやっていた。

 そんなマイナーな思想家だが、僕はずっと前から好きでそのほとんどの単行本を揃えていた。そのことを彼女に話し、入門用のエッセーをまとめた文庫本と、インタビューで新書本を送った。その後、彼女は秘かに、その当時、まだ手に入った絶版寸前の文庫本の『森有正エッセー集成』全5巻をぽんとネットで注文して買っていた。

 僕は本が手に入りづらくなっているのを知っていたので、森有正全集の方を古本で買った。ほとんどのものは最初の単行本で持っていたのだが、全部を揃えておきたかったから。

 そうして二人のメールの会話の中で、森有正は何度も登場した。彼の「経験によって言葉が定義される」という思想も、まさに僕たちは様々な概念を自分たちの経験の中で始めて理解していく、という経験をしていった。僕は彼女が「初めて知りました」ということをリストアップして「初めて物語」を編もうかと思ったほどだった。

 愛ということも、セックスの良さも、心と心の共鳴も、シンパシーという言葉も、みんなそうして二人は初めて経験の中で知り、共有していった。

 しかし、今、僕はその森有正を読み直そうとしても、彼女のことが思い出されて、辛くて読むことができなくなっている。語ることができなくなっている。僕にとっては彼は、大事な思想家だったが、そのこと自体が今はもう僕の中から欠落しようとしている。蓋をしないではいられない。こうして僕は自分の存在の一部を切り取りながら生きていかなければならないことを実感している。
[2010/10/15 12:43] | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)
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